« 出版案内『日本におけるドイツ-ドイツ宣教史百二十五年』 | トップページ | 富坂だより第25号 »

2010年6月 1日 (火)

可愛い子には旅をさせよ

アンドレアス・ルスターホルツ(アンドレアス・ ルスターホルツ/評議員)

 毎年、財団、EMSとNCC京都宗教研究所の3団体の協力で、5人の研修生が京都などで半年を過ごしながら、日本の宗教を勉強し、異文化を体験する。研修生にとっては、いい意味での忘れられない経験となるであろうし、自分の頭の中にある、様々な壁を突き破るきっかけにもなるだろう。人は、辛いことを経験して初めて、自分が当然だと思っていたことがそうではないことに気づくのであり、それまでの自分と関係がなかったために、全く知らなかった問題に直面するのである。

 個人的な経験を一つ紹介しよう。電車やバスに乗っている時、周りにいる人々は様々なことについて話をする。ほとんどの場合、耳を澄まして聴くほど面白い話題でもなく、普通は聞き流す。私が経験したのは、これとは反対のことだ。電車やバスに乗っている周りの人々は、私が乗るまで、違う話をしていたはずなのに、私の姿を見かけたとたん、話題が変わり、英語や外人、あるいは身長についての話を始める。それは、アメリカ人と思われる背の高い外国人が乗ってきたから、自然とそうなったに違いない。ただし、頻繁に同じことを経験するので、聞き流そうとしても、無視できなくなってしまう。何度、『いい加減にしろ!』と、心の中で思ったことだろう。しかし、周りの人々は悪気があって、話題を変えているのではないので、何も言わない。

 ある日、ふとこう思った。それはもしかして、障がい者もする経験なのではないか。あるいは、それは白人ではない人が、ヨーロッパで経験することでもあるだろう。もしかしたら、自分も同じような不注意なことをしていたかも知れない。おそらく私が経験したのは、個人的なことではなく、様々な社会において大勢の人が直面している問題なのかも知れない。自分がいるだけで、周りの話題が変わる。話の内容にもよるのだが、かなり耐えがたい時もある。このことは日本に限らず、普遍的なことだと思って以来、自国のスイスの社会についても再考するきっかけとなった。

 異文化間の交流は、人間にとって非常に大切で、それは相手の立場を配慮することにつながるだけでなく、独自の文化をより深く理解することにも発展していくのだろう。

« 出版案内『日本におけるドイツ-ドイツ宣教史百二十五年』 | トップページ | 富坂だより第25号 »

アンドレアス・ルスターホルツ」カテゴリの記事

富坂だより第25号」カテゴリの記事