« 新法人化に向けて~評議委員会の設置 | トップページ | 可愛い子には旅をさせよ »

2010年6月 1日 (火)

出版案内『日本におけるドイツ-ドイツ宣教史百二十五年』



tn02502


水谷誠(みずたに まこと/同志社大学神学部長)

 富坂キリスト教センターの研究会活動の一環として2001年春に始められ2004年の秋まで、計10回にわたって続けられた「日本におけるドイツ宣教史」研究会の作業の成果、ならびに、長年にわたって関係資料を収集してこられた堀光男教授がお纏めになった宣教活動の歴史的概説を収めた論集が新教出版社のご好意により、このたび、刊行されることになった。研究会活動を閉じた後、今にいたるまで多くの時間を費やしてしまった。研究会主事を務めた者として肩の荷をおろした思いである。

 論集には、堀光男氏の概説「日本のプロテスタンティズムとドイツの伝道」の他に、研究会に参加したメンバーによる諸論稿が収められている。村上伸氏(研究会代表)の「第三帝国時代の東亜伝道会と日本の教会―エゴン・ヘッセルの場合―」、鵜沼裕子氏の「普及福音新教伝道会と日本のキリスト教」、中道基夫氏の「第二次世界大戦後の日本におけるキリスト教社会福祉事業とドイツのディアコニッセ」、川島堅二氏の「普及福音新教伝道会とドイツ語圏人類学」、それに水谷の「三並良のキリスト教―その生涯と信仰―」。さらに普及福音新教伝道会の日本での機関誌『真理』の総目録と略年表が収められている。『真理』の総目録は当時同志社大学の院生として研究会に参加し実務を担うことになった鈴木貴博氏によって始められた。しかし、鈴木氏の遭遇した不慮の事故によりこの作業は後に上原潔氏(現、京都大学の大学院)によって完成されることになった。鈴木氏は(この宣教活動とも関連する)宗教史学派をめぐる論稿や年表他の基礎資料の作成に情熱を燃やしていただけに、その撤退はまことに残念なことであった。活動の当初、センターに二人で宿泊し、赤提灯や今は無くなってしまった近隣の銭湯に出かけて研究会の将来を語り合ったことを思い起こす。上原潔氏はその代務を務め、目録完成のために残された作業を短期間で集中して行ってくれた。彼に感謝したい。

 18885年の、シュピンナーの来日から始まったドイツ語圏の宣教団体の日本での活動は、二度にわたる世界大戦での日本とドイツ・スイスとの国家関係に翻弄され、また宣教思想の神学的反省に伴う移り動きなどによって多くの変遷を重ねてきた。その間になされた活動は多方面にわたり、またその蓄積は膨大である。筆者は、この研究会活動に参加する以前の1995年に本務校の在外研究でドイツに滞在したが、個人的関心からシュパイエルの州教会文書館を訪ねて数日の間この宣教活動の資料を探索したことがある。驚きまた感激したことは、その総量が膨大であったことであり、また諸資料がていねいに整理されて管理されているその様子であった。毎日朝から資料館に籠もり館が閉じられる夕刻まで読書室でとりわけ草創期の資料を最初から年月を区切って閲覧していった。ファイルに収められている当時の資料類の中身を一つ一つ取り出し、逐一点検し、必要と思われる資料をメモしまたコピーを要請した。資料館の司書の方には好意的にコピー作業を引き受けていただいたが、要請したコピーの分量に辟易したという感想を後から聞いた。その後、日本に持ち帰った資料は今だ手つかずのまま研究室に置かれている(今回の研究会で利用した文献資料は別のものである)。個人的な記憶を綴ったが、他に先駆けてシュパイエルにまだ集積されていない時代に資料調査を始められた堀教授は収集作業の困難を多く体験しておられる(論集参照)。堀教授がまずもって、そして他の研究会関係者もその後痛感させられたことは、日本には活動の記録がほとんど残されていないという現状である。邦文の資料類がシュパイエルに多く保管されているわけではないことを思うと、富坂キリスト教センターのルーツにかかわる貴重な資料類の、とりわけ邦語資料類がら、今後心して取り組むべき課題なのである。の収集保管は、その内容の吟味検討もさることながら、今後心して取り組むべき課題なのである。

« 新法人化に向けて~評議委員会の設置 | トップページ | 可愛い子には旅をさせよ »

富坂だより第25号」カテゴリの記事

水谷 誠」カテゴリの記事