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2010年12月 1日 (水)

シリーズ「ドイツから直行便で」⑩「諸宗教間対話の基盤と平和への責任ある参与」 ― B・クラッパート教授の来日講演から―  諸宗教間対話の基盤と平和への責任ある参与」 ― B・クラッパート教授の来日講演から―  

相賀 昇(あいが のぼる/日本基督教団 田園都筑教会牧師)

 去る9月22日(木)、ドイツからB・クラッパート教授を迎えて「第2回市民公開文化講演会」が開かれた。テーマは「現代世界の平和構築のための諸宗教間対話~21世紀の『文明の衝突』をめぐって」という焦眉の問題だ。現代はグローバリゼーションによる様々な矛盾や格差によって民族・文化的対立やテロリズムが噴出しており、その背後に世界宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の宗教的対立こそが原因になっているという批判がある。 

 かかる内外共に危機的な状況においてクラッパート教授が三者間対話の糸口としてあげたのは、アブラハムとその祝福の約束、すなわち「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」(創世記12:2)であった。このアブラハムの祝福の約束は(1)イサク、つまり選ばれた者(ユダヤ教)に、(2)イシュマエル、つまり最初の割礼者と契約において祝福された者(イスラーム教)に、(3)キリスト者、つまり諸国民の中からイエス・キリストを通して選びに加えられ共に祝福を受けた者(キリスト教)へと伸びている。 

 ここで大事なのは、三者がそれぞれこの祝福の他の受領者を排除するかたちでアブラハムに戻ってはならないということである。クラッパート教授が提言する対話モデルとは、全人類に対するアブラハムの祝福の約束に仕える道(複数形)、つまり宗教の隣人関係ともいうべきモデルである。そこではアブラハムからイサクとイシュマエルの息子たちが、またサラとハガルの娘たちが祝福され、さらにアブラハムの息子であるイエス・キリストを通して祝福が諸国民世界へと入っていく。その祝福を通して私たちは男女のキリスト教徒として祝福され、ひとつである人類へと派遣され、被造物の保全のために召されるのである。アブラハムの神はひとりの唯一の神であり、イスラエルとの契約と忠誠を永遠に保ち、御手による創造の業を放棄されない。イスラーム教徒が告白するように、神は高き方にして超越者、天と地の創造者、来るべき正義の裁き主である。しかしアブラハムの神は同時に、近くして共に歩まれる神であり、天の高みにおられるが、同時に貧しく、権利を失い、砕かれた心の者のそばにおられる(イザヤ57:15)。あるいは最も美しく魅力的なコーランの章が告げるように「神はあなたの胸の動脈よりあなたの近くにおられる」(50:15)のである。 

 そのような対話の基盤と方向性とともに重要なのは、やはり三つの宗教がその使信の核を形作っている価値、すなわち正義と平和を求める努力とその意味で人権の保護という主要な価値のために互いに強く連帯することである。その具体例として最後にクラッパート教授は、ヨルダンのフセイン国王の印象深い言葉を紹介した。預言者ムハンマドの血を分けた子孫である彼は1995年、エルサレムにおいて先に暗殺されたイスラエル首相イツハク・ラビンの棺のもとで、アラー・エロヒームの神に呼ばわってこう述べたという。「我々は声をあげ、高らかに、公然と我々の平和に対する告白を語ろう。今日ここでだけではなく、いかなるときも。一人の神である我々の神は、我々が平和に生きることを望んでおられると信じる。我々は希望し祈ろう。神が我々すべてに、各人に神の立場において正しい導きを与えてくださるように。そしてそれが各人によき将来のためにできることをなさせてくださるように」。 

 この祈りに示されるように、各々の信仰者はたとえ繰り返し自らの宗教的価値を傷つけられようとも、決してそれらを新たな憎悪や抗争の動機としてはならず、かえって平和を実現する責任のために堅固にされそのために参与しなければならない。

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