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2011年6月 1日 (水)

富坂だより 巻頭言 「富坂子どもの家 開所式式辞」 

所 久雄(ところ ひさお/財団法人基督教イースト・エイジヤ・ミッション理事長)

 当財団法人は1800年代半ば、一人のスイス人牧師Ernst Buss(1843年生)がオランダのハーグに本部をもつ「キリスト教擁護会」がキリスト教伝道に関する懸賞論文(神学的著作)を募集したのに対して応募した著書「キリスト教伝道-その原理的根拠並びに実践について」(Die christliche Mission, ihre prinzipielle Berechtigung und praktische Durchführung.)に端を発しています。1876年に出版された352pageに及ぶ労作ですが、これに共鳴した者たちが1883年スイスのOltenに集まり伝道会設立を協議し、もっと広く支持を得ようとして、スイス内外ドイツ、フランス、イギリス、アメリカにも声をかけて翌1884年場所をドイツ、ワイマールで設立総会を持ったことにはじまります(明治17‐8年)。その団体名は東アジアミッション(Ostasian Mission)ですが、爾来今年で126年目を迎えています。当初ミッションはインドをめざしていたようですが、ポツダムに居たRitterという親日家の牧師が開国して間もない日本に向かうべきであるというすすめで東アジアミッションの会計係をしていたスイス人牧師Wilfried Spinner が最初の宣教師として来日し、東京で1885年から1891年まで伝道活動をしたという記録があります。

 さて、Ernst Buss の著作によれば、伝道はきわめて幅広く、決してスペインが南米で在来宗教や文化を滅ぼしてキリスト教を押しつけるようなことではなく、非キリスト教国で諸宗教にある真理に接触点を求めることが大切であるという。今日いうところのEcumencal(異なる宗教との対話)なものでした。そして宣教師は伝道国の人々と共に働き、その地の人々に寄りそい、人々が自主独立の社会を形成していくために協力し続けることであるというのです。キーワードは教会は伝道(Mission)が使命、方法は連合、連帯(異なる文化、宗教)です。 明治期、開国を待っていたかのように沢山の宣教師たちが各国から来日し、日本の各地、北海道、仙台、東京、京都、大阪、神戸、熊本などいたるところで教育、社会事業、医療活動など数え切れない程の貢献をされたのです。ここにお集まりの方々全てがその恩恵の中にいます。明治学院で働いたヘボン(Hepburn)によって外国語の発音記号が開発されたこと。東京大学開校のためドイツから招かれたケーベルは宣教師というより教師でありましたが、正教会の人で古典語(ギリシャ、ローマ)、哲学、音楽などその門下生が日本の学問の中心になりました。当財団は1945年第二次世界大戦終結時、連合国の進駐によりGHQが特にドイツ系の土地財産を撤収するということで財団法人を結成し、基督教イースト・エイジヤ・ミッションとしたのですが、財産維持のための財団と色あいが濃く、研究活動を中心に続けて来たといえましょう。 今般政府による財団改革の中でその事業が問われているのでありますが、当財団はその定款(古くは寄附行為)にはっきりと伝道、教育、社会事業を行うことが明記されているのです。 本日ここに開所しました「富坂子どもの家」は、長い歴史をもつミッションの歴史につながる事業であり、当財団の定款によって包括された事業です。私はここに改めてミッションとは何かを自らに問い、またここで働く職員、通所される方々にもはっきりと申し上げたいと思います。 ミッション(Mission)という言葉は宗教的には宣教、伝道または宣教団という言葉ですが、それだけではありません。社会一般ではラテン語から来る経済、通商などの使節団をミッションと申し、ミッションを送る等と用いています。しかしもっと大切な意味は、天職、ドイツ語がBeruf, Berufungという言葉です。Berufはもともと神が人を召すこと、キリスト教ではそれを召命と申します。牧師になるという時、それは神に召されてそれに応答することを意味します。神の召しによりそれに応答して働くことを職業と位置づけたのは、宗教改革者ルターであります。職業に貴賎なし、職業は単に食うため、生計維持のためだけではない。その働きによる社会貢献、社会的意義が問われているのです。このことから、Missionは使命という意味でも使われます。教師としてのMission、神のMissionとして福祉職につくということが出来ます。富坂の地でここに始まる「子どもの家」の事業は、「神のMissionとしての事業」として一貫されなければなりません。神に召され、神に仕え、人に仕え、地域に仕える事業です。この事業は決して終わることのない事業です。私たちはもう一度、あの初期の宣教師たちが抱いたビジョン、その地で人々と共に働き、個人また社会の自主独立に参与するという精神に立ちたいと思います。子どもの家には何らかの障がいを持つ子が集まってきます。私たちはその子に寄りそい、その家族に寄りそい、それぞれの自主・自立に寄与しようという仕事をはじめて行くのです。2010年11月26日 

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